当社の特徴と自己紹介
★★★ 他社との違い ★★★
パソコンを使ってデザイン画を描くのが私の仕事です。
昭和の34年代に独立して現在までテキスタイルデザインの仕事をさせていただいております。
古希を迎えた今なお、仕事をさせていただくことに感謝しながらパソコン相手に頑張っています。


昭和50年代に街中で見つけてシャープ68000というゲーム用のパソコンを見たとき、これなら仕事につかえると思い、またいつか手書きのデザインからパソコンでの作業になる時代が来るだろうと思って当時は高額なパソコンでしたが迷わず購入しました。


パソコン、プリンター、スキャナーなど合わせて125万円の出費でした。
古希を迎えたいまだに仕事ができるのはパソコンのおかげと思っています。
また購入したパソコンも10数台になりますが、今はパソコンなしでは生活できない状況です。

現在シャープの会社はちょっと厳しい状況のようですが、当時のシャープの液晶は世界一の技術を持っていたのですよね~~


その数年後はデザインはマックということでマックも数台購入しましたが当初、操作に慣れるために家紋を描き始めました。


その数年後はパソコンはMAcに機種変更しましたが、デザイン画を描く前に操作に慣れる必要から家紋を描き続けました。。


家紋に興味をもち仕事の合間を見つけて数年かけて描き溜めた家紋は、数千種類にのぼります。
。。。。
インターネット上でも家紋データーなどが販売されております。
購入したこともあります。

家紋作成の参考に購入する場合もありますが、販売されている家紋データはスキャニングされた家紋データを処理したものが多く、実務の作業ではアンカーポイントが多すぎるため(イラストレータのソフトを使われる方はご理解いただけると思います。) 
いささか使いづらいデータです。


私は、家紋帖などからスキャニングしてそれを下絵として、イラストレーターというソフトを使って1本1本の線を正確に描いて作成していきます。


家紋の場合はモチーフが左右(上下)対称であったり、また90度(叉は60度/45度/。。/などなど)づつ回転したり、またこれらを組み合わせて作成出来る家紋が大半です。
一部分を描いてそれを回転することによって出来上がる家紋も沢山あります。
。。。
このような方法で家紋を描くことによってより正確な美しい家紋を書き上げることができます。
。。。
次男、三男が分家されるとき、ご先祖から脈々と受け継がれた由緒ある本家の家紋の雰囲気を残しながら、”本家とは違った新しい家紋を作りたい”といわれるお客さまもあります。
このようなお客さまの要望に答えることもできます。
。。。
ここが『家紋ネット』最大の特徴です。
 
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ーー自己紹介ーー

学卒後、一部上場会社就職と同時にデザイン学校入学、卒業後、版画家に師事、
デザイン事務所勤務を経て昭和50年にデザイン事務所設立

昭和53年『スタジオ・アーガス』設立、約8年の上場会社の嘱託を兼ねながら現在にいたる。
当時は4年間を基準に転職していたのでオリンピックがくるたびにそわそわしていたのをおもいだします。
現在((平成28年)もテキスタイルデザインの仕事をさせていただいています。
今は100%パソコンでの作業ですが、もしパソコンをやってなかったらおそらく10数年前に転職していたことでしょう。


パソコンはほとんどが独学でした。、費やした金額も相当な金額になるでしょうが昭和50年台後半に出会ったシャープX68000というゲーム機が原点です。


氏名:内藤 進
住所:兵庫県明石市
電話:078-923-8528
メール:so93if45@gold.ocn.ne.jp
趣味:釣り(海釣り)/パソコン/絵画/スポーツ


パソコン暦=シャープX68000が最初のパソコンとの出会い(昭和50年台後半?)
その後は何が何でもMacでした。Macとの付き合いは十数年になります。

ドットコムマスター/某サポート業務資格試験に合格したのを機会にインターネットは主にWindowsで、でも仕事はMacでした。

2010年頃からMacからWindowsに切り替えていますが、複雑な作業の場合ついつい手慣れたMacで作業してしまします。

以前はデザインといえばMacが主流でした(現在でもそんなところがりますが?)
それは初期のころはIllustrator,PhotoshopがWindows版にはなかったようですので自然とMacに頼ったのだと思われます。

最近はWindows版用のIllustrator,Photoshopがありまたそのデータは両機種で共有できますのでどちらで描いても同じようです。

パソコン自体がトラぶったときMacの場合なかなか聞ける人が周囲にいないのですが、(サポートセンターもなかなかつながりにくくて・・・)Windowsの場合はリモートサポートセンターなどが充実しているので助かります。

そんなこんなで今はほとんどがWindowsでの作業になっています。


 30才の時に現在のスタジオ.アーガス設立、何人かのスタッフと共に婦人服/インテリア/傘柄/紳士服/ネクタイ/輸出柄などの図案を描いておりました。
古希を迎えた現在でもテキスタイルの仕事をしております。


また現在においてもデザインの仕事ができることに喜びを感じつつ、またあの時のシャープX68000(昭和50年代後半)というパソコンのゲーム機との出会いがその後の人生に大きくかかわってきました。

もしパソコンとの出会いがなければ昔にデザインの道をあきらめていたことと思います。
もしかすればもっと自分に向く他の道があったのかもしれませんが・・(笑)
それはともかくとしても現在でもデザインを発注してくれる会社があるということに喜びを感じています。
むろん100%パソコンでの作業です。
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パソコンの出会いと経緯は・・・↓↓↓

昭和50年代の後半にシャープX68000というパソコン機のゲームを見て、その色の表現また表示などを見た時にこれならデザインに応用出来ると思いました。

当時はプリンターの技術がおくれていたようにおもいますが。。。
ベタ場の表現に粒子の荒さが目立ち実務で使えるような機種が手頃な値段ではありませんでした。

プリンターだけで数百万もしておりました。そんな時に見つけたプリンターがNEC-PC-PR801 確か定価¥490000円だったと思います。(?)

これならX68000と組み合わせればなんとか使えるだろうと思いパソコン=シャープX68000 プリンター=PCPR801 スキャナー=エプソン製 ソフトなど総額125万円少々で購入しました。

この時は、パソコンは全く使ったことも(初期化の意味すら知りませんでした)なかったのですが、125万もの出費ですから途中で諦めたとは言えず、ただただ訳も分からずマニアル本ばかり読んでおりました。正直、読んでも意味すら理解出来ず字を数えているというような読み方でしたが。。。。


パソコン=シャープX68000は1M(標準)で国内で始めてハードデスク内臓というふれこみでした。(20M)。フロッピーは5インチのフロッピーでした。
 
当時は非常に人気があり雑誌もX68000という雑誌まで発行されておりましたし、また、68(ろくはち)クラブなるものもありました。

その後、新商品が出ると買い換え現在で10数台のパソコンになりますが、パソコンが一番仕事してくれたのは最初のこのX68000です。
どちらかというとデザイン(図案)をパソコンで描くのは邪道だと思われていたような時代ですから、ストライプから水玉のような柄まで仕事がありました。
( 現在は、低価額でハードもソフトもよくなりまた企業でもほとんどが高性能なパソコンを導入されていますから簡単なデザインは自社で製作されることが多く我々ところまでは降りてこないのが実情です。)

 
水玉柄でも仁丹玉ぐらいの大きさをコンパスを使って描くのですが、均一に一面に並べるということは大変時間のかかる仕事でした、が、同じものの繰り返しなどはパソコンの得意とするところですので短時間での製作が可能でした。

ストライプにしても幾何柄にしても同じようなことが言えました。また商品にもよりますが、そのような柄行きがトレンドとしてもてはやされている時代でもありました。


その数年の後にMacと出逢い、その後は何がなんでもパソコンはMac。。。とMacマニアに。。。。


インターネットは1997前半からのスタートでした。また当初からホームページ等にも興味があり独学ですが自分のホームページは自分で製作しておりました。またその後数社のホームページの製作にも関わりました。

そんな時、マスコミまたインターネットでインターネット検定=ドットコムマスターの試験を知りました。

パソコンにはチョット(ほんのチョットだけ)だけ自信がありましたので簡単に考えて受験しました。が。。まず最初にびっくりしたのが(会場は大阪の某大学でした)受験生の多さと受験生の若さでした。
まるで自分の子供程度の年令の若者ばかりのように感じました。

着席後、周囲を見渡すと前後左右若者ばかり。。。。。。。。。


なんだか場違いな所にきたように感じ、恥ずかしさでそわそわしながらの受験でした。
またマークシートの受験というのも始めて、内容はというと始めて聞くような専門用語また長文の問題に時間の配分が悪く
1回目の受験はあえなく。。。。失敗。。と。。いうより惨敗


2回目:”一回目はいうならば様子見”程度にしか考えていませんでしたので正直あまり受験勉強はしてませんでした、また不合格のショックもそれほどもものでもありませんでした。

中途半端な受験勉強では合格できないと思い仕事の時間を割いてまで勉強しました。 が2回目も時間の配分/また、まだまだ勉強不足を感じました。
点数はわかりませんが惜しくも(?)失敗
(いいところまでいっていたように思うのですが。。。。ショックもそこそこ)


また、NTTコミニケーションズさんは機種による不利がないような問題を出しますと言っていますが。普段からWindowsを使い慣れている方が断然有利なように感じます。
私はこの時までMacしか触ったことなかったのです。


3回目:独学では無理だと感じ、日々の仕事をこなしながらの勉強になりますのでインターネット上でドットコム受講を申し込み猛勉強(?)今度は大丈夫と自信満々////

ところが受験4日前から(事故)歩くことは無論起き上がることも出来なくトイレすら行けない状態でした。

試験当日は、杖をたよりに何とかゆっくりですが歩くことが出来ました。これで受験はできると。。。。/

当日の受験は乗り物は乗れず試験場まで子供に車でおくってもらい杖をたよりに何とか着席でき受験はしましたが、集中力を欠いては試験になりません ということで3回目も残念ながら。。失敗

家族からも”お父さんもう諦めたら”といわれておりました。

仕事にも少なからず影響が出ておりましたので。。。。

悔いを残さないために最後にもう一度受験しようときめて4回目の試験勉強スタート///これでだめなら諦めようと・・・


4回目:前回の経験から体調にも1週間前から気をつけました。また、試験場では特に周囲の人たちを見ないようにしました。
(ほとんどが若者ばかりでしたので。。。気後れしますから。。統計的にも受験者の年令は私の年では数%程度だったと思います。(どこかに統計が出てました。。。)

 
試験日、当日は問題集などはいっさい見ませんでした。もし問題集を見て分からない問題に出くわせば不安が残るばかりですし、また悔いのないだけの試験勉強はしたつもりでしたのでただただ試験が始まるのを静かに待つばかりでした。


試験は5ジャンルに分かれ、5ジャンル平均して合格点に達しないと合格出来ないらしいです。
(たとえ4ジャンルで100点でも1ジャンルで点数が低ければ不合格)

また試験勉強では長文の問題に対応するために「速読法」なども同時にチャレンジしてかじりました。(笑)
。。。

合格発表は、インターネットで見ることが出来ました。
。。。

最後のチャレンジでしたし、この試験の合否によっては、大袈裟に言えばこれからの人生が変るかも知れないと思っておりました。

まずドットコムに合格してつぎに某試験を受けて。。。。などと大まかな計画をたてておりましたので。

ドキドキしながらID/パスワードを打ち込みそれ以上にドキドキしならがリターンキーを押しました。

画面一杯に出ました『合格おめでとう』の文字
長かった!試験は年二回ですから受験勉強を初めてから約3年弱!
約半年後次なる目標にチャレンジ・・・




私の場合は、インターネット検定にチャレンジする目的は、自分自身のスキルアップはもちろんですが、CAVAの資格にチャレンジして自宅でサポート業務をしたいと思ったことからでした。

また本職も忙しく事務所を空けることが出来ない、などの理由から自宅で出来る仕事を探しておりました。
仕事を2つ持つのが長年の目標でした
。。。。
午前中はこちらの仕事、午後から頭を切り替えて。。。などと出来れば良いな~と思っておりました。


ちょこっと前置き
テキスタイルデザインの仕事は40年以上続けておりますが、父が織物業を営んでおりました関係から物心ついたころから「機の音=はたのおと」を聞いて育ちました関係上、学校もまた最初の就職も「糸へん」に関係した会社でした。

技術部に配属されました関係上、終業時間が早く(8:00~16:30)終業後の時間を有意義に過ごしたいと思い夜間のデザイン学校に通いはじめたのがこの道に入ったきっかけでした。

いつかは独立したいと思いつつ卒業と同時に退社して本格的にこの道での修行が始まりました。
就職したのがローケツ染めの個人企業でした。主人は「版画家」との2足わらじを。。。。。。。来る日も来る日も熱い鍋を隣において(手書きローケツ染めのためロウを電熱器にかけて溶かし一定の温度に保ちます。)あぐらをかきながら終日筆を動かしておりました。


夏場の熱い時に電気コンロを横においての仕事は結構辛いものがありましたが、出来上がりを想像し、またこれを身に付けてくれるであろう美人を想像するとき、わくわくしながら筆を動かしておりました。
4年間続きました。


将来、着尺(和服)の仕事で生計をたてるか?アパレル関係の仕事で生計をたてるか?選択の最終段階に(年齢的に)来ておりました。

また其のころにテキスタイルデザイン事務所から誘いを受けておりました。
「テキスタイルデザインの道で行こう」と決断。其の時26歳、
当時はこの業界でも徒弟制度なるものが残っておりました。
それゆえこの道で独立するには年令的にまた勤め先などに無理あると某先生から諭されました。
また、就職しようとした事務所の主人も洋画の作家活動とテキスタイルとの二足わらじでした。
。。。。。。。。。。。。。。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。
ロ-ケツ染めの時は筆一本でしたが、テキスタイルデザインではいろいろな道具などを使い創作しました。烏口のコンパス、定規、デバイダー、金網からブラシ、スポンジ、つまようじまで創作に必要なものなら何でも使いました。

地模様に網目を入れたいような場合など網をおいて上からコンプレッサーで吹き付け網をのけると上手く編み目だけがのこっているというように。。。其の上に花などを書き込んでいくとか。。。。いろいろな方法使いました。また研究もしました。


いろいろなスポンジに色をつけてタタキながらぼかしていくとスポンジの目の荒さによって面白い効果がでます。などなど。。。。また高価な着尺と違って紙に描くのですから失敗してもやり直しがききましたので其の分、気楽にいろいろとチャレンジ出来ました。
生活は苦しかったけれど非常に充実した楽しい日々だったようにおもいます。


4年経った某日、経営者より「作家活動(油絵)を本職にしたいので事務所を閉鎖する」との通告を受けました。其の時、事務所に残っていたのは私1人でした(最初から3人しかおりませんでしたけど(笑い)


最後の2年間は1人でした)そのような関係で私にはテキスタイルデザインで先生と呼べる人はいないことになります。
(経営者は洋画では知人も多くまた個展なども開いておられましたが、図案の世界では無名でまたテキスタイルデザインはサイドビジネスとしか考えてなかったようです、ので、あえてテキスタイルでの先生に支えた事がないと言うことです。経営者は了承済です。)


まだまだ此の業界では徒弟制度なるものが残っている時代でしたので新しい会社をたづねると、聞かれることが。。。
『どの先生の元で修行したか?。。。何番弟子ですか?』とか、この業界の難しさを知りました。

(当時、図案家協会には数百人の会員が名を連ねておられました。。。。)
また、仕事においても先生なり先輩弟子の了解を得ないと決められないこともあるとか聞きましたので、(先生をさておいて新規の開拓とか出来ず、開拓においてもまた仕事においてもいろいろ相談せねがならず、また仕事も先生から回してもらうような状態のところが多かったように思います。(要は先生の仕事の下請けですねえ。。。)


そのような古い風習の残っている会社はご遠慮申し上げて自分の人脈と度胸をたよりに新しい所に飛び込みました。

結果、最初に入社した会社を訪ねると快く迎えてくれました、退社してから12年が経っておりました、また入社当時の上司が重要なポストについておられ快くデザイン課を紹介していただき、以後ながく仕事をさせていただきました。


現在でも当時の方々にいろいろお世話になり、またみんさんのお集りの会合にも出席させていただいております。
優良会社の社長を勤められた方も数名おられます、未だに会合にお誘いいただけることは誠に嬉しく励みになります。つねづね感謝しております。ちよっと横道にそれてますが。。


一つの会社で仕事が出来れば、其の繋がりからつぎつぎと得意先も増え、また別の仕事までもが舞い込んでくるようになりました。
一人ではこなしきれず何人かのスタッフを入れました。

優良上場企業の嘱託も2社八年弱経験しました。
気がつけば独立してから此の仕事を40年間続けていることになります。

最初の会社が4年。
友禅/ろうけつ染め4年。テキスタイル事務所勤務4年その後、独立して現在まで同じ仕事をしてきたことになります。
 
最初はオリンピックが来るたびに仕事が変っていたのでオリンピックが来るたびにドキドキしたのを覚えております。

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★★
震災(阪神大震災)とMac

震度7。マグニチュード7.2。死者5千3百名以上。負傷者3万4千4百人以上。倒壊家屋16万棟弱の大災害をもたらした、1995年1月17日午前5時46分に起きた阪神淡路大震災。
我が家は、淡路島と本州間の一番近いと思われる地域に位置します。目の前にきれいな淡路島がみえます。淡路島の家々が肉眼でみえます。

震源地とは数キロの範囲に位置しますが、活断層から逸れていたが為に我が家は、何とか持ちこたえられはしましたが、屋根瓦はずり落ち、壁ははがれ、水道菅は破裂、屋内は家具は倒れ、壊れた食器はちらばり足のふみ間のない程の状態でした。
 自分自身、もう10センチ枕の位置がずれていればタンスの角が顔面にまともにあたっていたことでしょう。考えただけでゾーとします。

 ”みんな怪我はないか?”誰も怪我はないと言う。。。が2階から降りてきた後には血の後がついている(這うようにして2階から降りました) ”本当にどうもないか”。。。。自分の怪我の血の後だと分かったのだが其の時は、どこも痛みは感じなかった。
 (また数カ月後、歯医者の治療でなにかがぶつかって根元が折れたであると言われた1本の「歯」は未だに其の時の状況を思い起こさせるごとくに時々痛むがこれも生きている証拠とたえている(笑い))

おそるおそる事務所に入ってみると、絵の具は棚から落ち、本棚は倒れ、コピー機は部屋の済まで移動、床はぼこぼこ。。。

正月が終わればゆっくりMacを勉強しようと約一ヶ月前に購入した新品のMacが見るも無惨にケーブル1本でぶら下がっている。
無論、他の機器(プリンター/スキャナー/MOその他)もばらばら。。。。
折角購入したMacであったが運がなかったものとあきらめようとケーブルだけはずして部屋の片隅に直しました。

このような大震災の後では実際に仕事が出来るはずもなく、また日々の生活に追われ仕事を考える余裕などない状態でした、またデザインの仕事などありませんでした。


 ただ毎日のようにガラクタの整理から自分で治せるものはこつこつ修理するより方法がなく、夜は疲れた体を横たえるだけの毎日が続きました。

 10日ほど経った頃でしょうか、どうせ動くまいとは思うけれども一度、

 Macのスイッチっを入れてみるか!!!!!!!!!!
。。。。
なな。んと。、なんと。。ボーンと言う軽快な音。続いてニコニコマーク(Mac使う人分かるね!)
何ごともなかったように立ち上がりました。思わず やった~。。。。。。。
それからですパソコンは何が何でもMac/Macintosh/まっく/Mac/Mac

。。。。。。。。。
でも前にも書きましたようにインターネット検定またその他の資格を取得するためにはWindowsに慣れる必要がありますね。
IPテクノサービス(出張サービス)の資格も取りましたが、Web上に流れている仕事はWindowsの依頼ばかりです。
試験は試験管の計らいでMacで受験する事は出来ましたが、実務はMacの仕事はほとんど来ない状態です。


仕事(デザインは)Mac、インターネットはWindowsという時期が長い間続きました。が最近ようやくMacを卒業してWindowsでデザインも書くようになりました。
今はWindowsにも「Illustrator」「potoshop」のソフトがありますのでWindowsでの不自由を感じることなく仕事ができています。
(でもでも当時のマック(G4)は捨てれません。今でも動きますから大事に使ってます。)

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 ★★★
 願いかなったyahoo登録

2つのサイトがYahooに登録されました。

最初にYahooに登録されたのは、2004年の10月6日でした。
インターネットを始めて(1997年9月)1年後からホームページも独学で勉強して傘の販売用のWebサイトを立ち上げました。

当時からYahooの無料の「サイトの推薦・依頼」に申し込みましたが、なかなか登録されず、そのうちに申請する事すら諦めておりました。

心のどこかに「Yahooに登録出来ればいいな」という願望がありましたが、ロボット形のサーチェンジにはその都度登録申請しておりましたので、またワード検索でも検索出来ましたのであえてYahooに登録できなくてもよいか?と云う気になっておりました。

当時でもYahooに登録記載されることが難しく、半分諦めておりました。(いろいろな文献にもYahooの登録記載される難しさが書かれておりました。
文献によってはYahooに登録記載されることは<奇跡だ>と書かれている文献もあるほどです。)


2005年夏の終わり頃、何気なく見ていたインターネットでを見つけweb講座に何だか興味が湧き早速に受講する事にしました。
送られてきたマニアル本をみて正直「チョット高いな~』と感じました。

私は仕事柄、デザインの資料的な書籍を購入しますが(今ちょっと本棚を見渡しても3万円~五万円の書籍が30册以上はあります。そのような関係で書籍の値段にはあまりこだわらないのですが、送られてきたマニアルを見たときは、「この厚さで3万円(書物は厚さではなく内容ですが、視覚的にこの厚さで。。と感じたのは事実です)」と感じました。
熟読すうるうちに、なるほど3万円の意味が分かりました。


安いとは言えないが内容からして高くもないか、とおもいました。
読み進むうちにホームページを作りはじめた頃の「Yahooに登録できるようなホームページ」を再度チャレンジしてみようと思いました。

そこでマニアルに書かれているように「熱く語れるコト」幸いにして現在、禁煙にチャレンジして4年経過。五年目突入している事を書いてみようとおもいました。(禁煙にチャレンジしたのが平成12年1月18日、テレビの禁煙番組を見てから・・・・)


禁煙スタートして1年目はノイローゼ気味から医者行きまで。。。またその間の失敗談を自分なりに綴ってみようとおもいました。

これなら自分が経験した事なので熱く長く語れるとおもいました。
また新たにホームページを作るのならドメインを取得してあわよくばYahooに登録出来るようなページに仕上げたいと思っていました。


9月(2004)はじめにマニアルの(先生の)お勧めのサーバー(100社以上あると云われるレンタルサーバーから4社を選んで記載されていますのでその中から自分にあったサーバーに申し込みeeyanka.com(ええやんか)で取得できました。

そして9月末にサーバーにデータをアップして「禁煙ーええやんか-雑記帳」というホームページを開設すろことができました。
同時にYahooの無料の『サイトの推薦・依頼』にも申請しました。

<ダメもと>でという気持ちで申しこみました。。
するとまさかのまさか。。。10月6日にYahooサーファーから下記のようなメールが届きました。

(うっかりミスからサーバー更新が遅れて削除されてしまいました。非常に残念に思っていますが、またどこかで再度立ち上げたいと思っていますのでそのときはよろしくお願い致します。)


===================
”こんにちは、Yahoo! JAPANです。
ご推薦いただいたページ
<http://www.eeyanka.com/>
をYahoo! JAPANに掲載させていただきました。
次回のデータベース更新(約1~2営業日以内)にて掲載が開始される予定ですので、
「新着情報」<http://dir.yahoo.co.jp/new/>内の「新規登録サイト」、またはURLによる キーワード検索でご確認ください。
ちなみに「新着情報」では「新規登録サイト」のほか、 「サーファーが選ぶ日替わりサイト」「今週のオススメ」「話題の検索ワード」など、 盛りだくさんのインターネット最新情報をお送りしています。
貴サイトを「新着ピックアップ」コーナーなどでご紹介している場合もありますの
で、ぜひご覧ください。
と云うメールをいただきました。

。。以下文面続きます。。。

と云うメールをいただきました。
まさか一発で登録記載されるとはマニアルにも書かれている『登録出来る事は奇跡」と云うぐらい難度が高いとか。。。そのYahooに一発で登録記載されたことはこのマニアルに書かれている事の証明かも知れません。
始めて安い買い物だと感じました(笑い)
高い高いハードルを一発でクリア出来ました。(自慢話しに聞こえますか?そうです少しは自慢です(笑い))


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現在このHPはうっかりミスからサーバー更新が遅れて削除されてしまいました。非常に残念に思っていますが、またどこかで再度立ち上げたいと思っていますのでそのときはよろしくお願い致します。
============



そして5ヶ月経過した頃に以前より展開しております「家紋ネット(お~い家紋だよ~)

当HPの初期です。現在はサーバーのサービス終了等でアドレスが変わりましたが。。。yhooには変更届けを出して現在に至っています。」


Yahooに登録記載されるようにマニアルにそって更新していきました。
4月4日に無料の『サイトの推薦・依頼』にも申請しました。

そして、またまた2005年4月18日に。。。

===================

”こんにちは、Yahoo! JAPANです。
ご推薦いただいたページ
<http://www1.ocn.ne.jp/~argus/>
をYahoo! JAPANに掲載させていただきました。
次回のデータベース更新(約1~2営業日以内)にて掲載が開始される予定ですので、
「新着情報」<http://picks.dir.yahoo.co.jp/>内の「新着サイト」、またはURLによる
キーワード検索でご確認ください。
ちなみに「新着情報」では「新着サイト」のほか、「新着オススメサイト集」「今週のオススメ」「話題先読み情報」など、盛りだくさんのインターネット最新情報をお送りしています。
貴サイトを「新着オススメサイト集」コーナーなどでご紹介している場合もありますので、ぜひご覧ください。
。。。。。

。。以下文面続きます。。。

。。。。”

と云う2度目の嬉しいメールをいただきました。

ホームページを持てば誰もが「Yahooに登録記載できれば。。。。。』という思いをまざまざと見せつけられました。それは 「家紋ネット」当時1日から18日までの訪問者は3796人(平均211人/日)それがYahooに記載された4月19日は1日で3389カウント 、20日が3600カウントこれにはびっくりしました。(私はYahooのまわし者ではないですが。。)さすがYahooだとおもいました。
誰もがYahooの登録に賭ける気持ちが理解出来ました。
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