全国的な分布からいって、天下第一の家紋、特に日本の大姓「佐藤氏」をはじめとする伊藤、武藤、近藤、など藤原秀郷流の”藤原一門に多い。
古来、藤は藤原氏の代表紋とされている。
藤原氏の祖、中臣鎌足は大化の改新の功績により天智天皇から藤原の姓を賜り子孫繁栄の基礎を築いた。
四家に分かれた子孫のうち北家が主流になり、別家の近衛、鷹司、九条、二条、一条の五摂家が中心となって朝廷の中枢に座り続けた。
藤原氏は天皇家の後宮に多くの娘たちを送り込み、生まれた皇子にまた藤原氏の娘を配するという形で、天皇家と血縁を結びながら、およそ千三百年以上にわたって栄えてきたのだが、そういう生き方を見れば、「藤」ほど藤原氏の紋章にふさわしい文様はないといえる。
藤は太い幹にからみつきながら繁茂する。
それは天皇家という幹にからみついて繁栄してきた藤原氏の生き方そのものだった。
豆科の蔓性植物である藤はその花の美しさで古代人から愛されてきた。
平安の貴族たちが藤を衣服の文様にtりいれていたことは「栄華物語」などに「桜、藤、山吹などの模様のある綾織物を競って召された」とあることでも知られる。
初めはリアルな文様だったのだが、やがて丸形のデザインに発展していって、家紋的にもちいられようになっていったことが「年中行事」や「紫式部日記」「北野天満宮縁起」などの絵巻物によってうかがえる。
藤紋のパターンは藤の花と枝からなっている。
ほとんどが丸くデザインされているので「藤丸」と呼ぶが、写実的な文様や菱形、桐形、杏葉形にデフォルメされたものもある。
花房の数も一つ花房から八つ花房まであり、見事なバリエーションをみいせている。
なお花房が垂れ下がっているうものを「下がり藤」上がっているものを「上がり藤」と呼ばれている。藤紋の大部分は「下がり藤」と「藤丸」だ。藤は元来垂れ下がる植物だから「下がり藤」が自然な形だが、それをあえて「上がり藤」にしたのは、向上発展っを願ってのものであろう
コラム等は発行所-実業之日本社「家紋 知れば知るほど」/日本実業出版社『「家紋」の辞典』を参照ならびに抜粋させていただきました以降も同じ。
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